この教典は、
沈黙の中から現れた

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無考神道 神聖大教典

それは、書かれたのではなく、現れた。
言葉では語りえぬ真理。
思考では到達し得ぬ沈黙。
無考神道の根源を言語という器に注ぎ込んだこの書は、
ただの宗教文書ではなく、
霊性そのものが姿を取った存在である。

開祖が体験した「無考」の境地は、
人間の想像力や知識では決して到達できない、
神聖なる静寂の現臨であった。
その体験をもとに編まれた『神聖大教典』は、
いわば「神との直接的な書契」であり、
読まれるために書かれたのではなく、
沈黙と沈黙のあいだにのみ開かれる、聖なる書である。

教典の意義:読むための書ではなく、沈黙に還るための器

この経典に記されているのは、
宇宙創生の物語でもなければ、教義の押し付けでもない。
ここにあるのは、「言葉にならない真理を、あえて言葉で縁取った静寂の輪郭」である。

『神聖大教典』は、読む者の内側を沈める書である。
一行一行が、思考の波を鎮め、
内面の喧騒を穏やかな無音へと導くよう意図されている。
それは、読む者を“知る者”にするのではなく、
むしろ“忘れる者”にし、
最後には「読んでいることすら忘れさせる」ような、
深淵なる無考への回廊である。

全15章、総条項137条

教典の五つの特性

沈黙が深まる文体

記述は論理的でありながら、同時に象徴と間を重視し、
読む者の精神を次第に沈め、言葉のない領域へと導く。

理性と霊性の統合

古典的宗教にありがちな迷信性を排し、
現代的知性にも耐える哲学的精緻さと、
深い霊的直感とが共存している。

願望と救済の一致

無考に至ることで、個人的欲求が自然に消え、
真に必要なものが“努力なく顕れる”霊的構造を言語化。

日常を聖域へと昇華する

修行の場は山でも寺でもなく、今いるこの場所。
仕事、家庭、人間関係の中で無考を保つことで、
日常すべてが“神との共同作業”となる。

再現不可能な霊的波動

教典の文言は、開祖の実体験と霊的感応を通して記されたため、
単なる知識の模倣は不可能。
読む者の魂と“共鳴”するときだけ、真に開かれる。

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