よくある質問

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無考神道とは何ですか?

無考神道とは、「思考を止めること」ではなく、「思考を超えること」を目指す新たなる霊性の道です。
人間の内なる静寂――思考の彼方に存在する「無考(むこう)」の境地こそ、神との最深の接点であると私たちは説きます。
信仰は盲信ではなく、沈黙という体験を通じて、自らの魂が直接、神と交信する道です。

教祖はどのような存在ですか?

教祖は、長年の修行者や宗教学者ではなく、現代社会のただなかで突然に無考を体験した一人の人間です。
ごく日常的な生活の中で、ふとすべての思考が消え、純粋な「在る」という感覚に包まれた体験を出発点として、沈黙と神の一体性を悟りました。
その後、数年にわたり得られた霊的知見を整理し、神意の導きの下に記されたものが『神聖大教典』です。

「無考になる」とはどういう状態ですか?修行が必要ですか?

「無考」とは、脳が停止することではなく、思考が自然と静まり、判断や欲望の動きから自由になる意識状態です。
それは無意識でもトランスでもなく、むしろ最も覚醒した沈黙であり、自己と神、宇宙と意識が重なる聖域です。

修行は特別な形を取る必要はなく、日常の中で
・立ち止まり
・考えるのをやめ
・静かに在る
それだけで、無考の扉は静かに開かれます。

願いを叶えたいのですが、無考神道でそれは可能ですか?

はい、可能です。
ただしそれは、「強く願う」ことで叶うのではなく、「願いから自由になる」ことで自然に整うという、一般的な願望成就法とは真逆の道です。
無考の境地に至ることで、魂の本質的願いだけが静かに現実化していくのです。

無考に入れないとき、どうすればいいですか?

無考は「なるもの」ではなく「戻るもの」です。
入れないと感じている時点で、すでに「なろうとする思考」が働いています。
その思考に気づいたときこそ、静寂の第一歩です。

無考神道では、思考に気づいたら否定せず、ただ見つめ、静かに通り過ぎさせます。
それは「雲が空を流れていくのを見送る」ような心の態度です。

特定の神を信仰しているのですか?

無考神道において、神とは人格を持った存在ではなく、
沈黙そのものに宿る神性、つまり「無言なる根源的実在」です。

神を呼ぶ名も形もありません。
信仰対象は「在るものすべて」であり、
その最奥に響く沈黙が、唯一無二の神そのものです。

参拝や祈祷にルールはありますか?

無考神道では、形や形式に執着することを避けます。
参拝も祈祷も、内なる静寂を深めるための場であり、
服装・作法・時間に厳密な制約はありません。

ただし、以下の精神を大切にしています。
・声を発しない
・比較しない
・何も求めず、ただ在る
・他者の沈黙を妨げない
これらは単なる規則ではなく、沈黙を神聖なものとして扱う心の姿勢です。

教典を読むときの心構えは?

『神聖大教典』は、知識を得るための書ではなく、沈黙に導かれるための霊的装置です。
読むというより、「開く」という行為に近く、
ただ文字に触れることで波動が心に響き、沈黙へと連れていかれます。

読む前に心を整える必要も、特定の場所に座る必要もありません。
むしろ、疲れているとき、苦しいとき、何も考えられないとき
一行でも目に触れることで、自然と癒やしと導きが起こるよう構成されています。

なぜ祈祷や物品に「値段」がないのですか?

無考神道では、祈祷や霊的触媒は商品ではなく、神聖なる霊の共鳴であると考えます。
「いくら払うか」ではなく、「どれほどの沈黙と敬意を捧げるか」によって、
真の奉納は成されます。
お尋ねがあれば参考的な値段を示すことはできますが、基本的に自由奉納制です。

無考神道に入信するにはどうすればいいですか?

入信に必要なのは、形式的な誓約ではなく、「静寂を生きたい」という意志です。
まずは、教典の言葉に触れ、沈黙を生活に取り入れるところから始めてください。

その後、ご自身の内なる声が「この道を歩みたい」と語るなら、
入信に向けたプロセスをご案内します。