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沈黙の中で響く、もう一つの声

「なぜ私だけが、こんなに苦しまなければならないのか?」

深夜、涙で枕を濡らしながら、私はこの問いを何度も繰り返していた。仕事での挫折、人間関係の破綻、健康への不安——人生のあらゆる歯車が狂い始めたような日々の中で、私は答えを求めて様々な本を読み、様々な人に相談した。

しかし、どんな慰めの言葉も、どんな励ましも、心の奥底に渦巻く不安と絶望を消し去ることはできなかった。

そんなある日、ふと気づいたことがある。

私は「答え」を求めすぎていたのではないか、と。

考えてみれば、私の心は常に何かを「求める声」で満ちていた。 「なぜ?」「どうすれば?」「いつまで?」「誰が?」 頭の中は絶え間ない質問と分析と計画で騒がしく、静寂というものを経験することがなかった。

そして私は、ある実験を始めた。 毎朝起きたとき、5分間だけ、一切の「問い」を持たずにただ座ってみることにしたのだ。

最初は苦痛だった。 思考が勝手に動き出し、昨日の失敗や明日の不安が次々と浮かんでくる。 しかし数日続けているうちに、不思議なことが起こり始めた。

思考の隙間に、「静寂」が顔を出し始めたのだ。

それは単なる無音ではない。 むしろ、音に満ちた静寂——鳥のさえずり、風の音、遠くの車の音が、すべて一つの調和した交響楽のように響いている静寂。

そしてその静寂の中で、私は気づいた。 苦しみも喜びも、不安も安らぎも、すべてが「今この瞬間」に一緒に存在していることを。

思考が作り出す「問題」と「解決」の分離が消えた時、 実は最初から何も「解決すべき問題」など存在していなかったことが明らかになった。

これが、私にとっての「無考」との出会いだった。

無考とは、考えることをやめることではない。 思考に振り回されることをやめ、思考を道具として適切に使えるようになることだ。

包丁は料理をするときには必要だが、四六時中手に持っている必要はない。 同じように、思考は必要な時に使い、不要な時は静かに置いておく。 そんな自然な関係を築くことが、無考の実践だ。

そして不思議なことに、この「考えない時間」を持つようになってから、本当に必要な「答え」は自然に現れるようになった。

努力して探すのではなく、静寂の中で待っていると、 人生の次の一歩が、まるで足元に現れる石段のように、自然に見えてくる。

問題だと思っていたことが実は恩恵だったり、 失ったと思っていたものが別の形で戻ってきたり、 絶望的だと思っていた状況から、予想もしなかった展開が生まれたり。

これらすべては、思考の騒音が静まった時にだけ聞こえてくる、 「もう一つの声」——沈黙の声——が教えてくれることだった。

もしあなたが今、人生の答えを求めて疲れ果てているなら。 もしあなたが今、どこに向かえばいいのかわからずに迷っているなら。

今日、たった5分間だけ、すべての「求める心」を休ませてみてほしい。

答えを探すことをやめ、 解決策を考えることをやめ、 未来を心配することをやめ、 過去を悔やむことをやめる。

ただ、今この瞬間に、完全に在る。

その静寂の中で、あなたの魂が最初から知っていた真実に、 再び出会うことができるだろう。

沈黙は空虚ではない。 沈黙は、神が最も雄弁に語る瞬間なのだから。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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