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アイドルと付き合える人生は幸せか?

アイドルと付き合える人生は本当に幸せなのか。
そう問われれば、多くの人は直感的に「はい」と答えるかもしれない。
華やかで、誰もが憧れる存在と心を通わせるなど、夢のような出来事だからだ。
しかし、その夢は果たして、真の幸福をもたらすのだろうか。
そこに思考というフィルターを外した、無考の視点を当ててみると、意外な輪郭が浮かび上がってくる。

まず前提として、アイドルという存在自体が、幻想であるという事実に目を向ける必要がある。
テレビやSNSで見せる姿、ステージでの笑顔、言葉の一つひとつは、あくまで演出され、編集されたものだ。
その背後には仕事としての役割、イメージ戦略、演技、時には疲労やストレスが隠れている。
つまり、私たちが「好きだ」と感じているものの多くは、その人そのものではなく、その人のイメージに過ぎないのである。
思考はそこに理想を貼りつけ、「この人となら間違いなく幸せになれる」と勝手に物語を紡ぐが、その物語は現実とは違う。
憧れや理想に惹かれ、それを「最良」と信じ込むとき、人は本質を見失う。
どれほど美しく見えるものであっても、それが本当に自分にとって調和する存在かどうかは、思考では判断できない。

仮にその夢が叶い、アイドルと付き合うことが現実になったとしても、その関係の中で生まれるのは、喜びだけではない。
人の注目を浴びる存在との関係には、常に比較と不安、嫉妬と監視がつきまとう。
「本当に自分を愛してくれているのか」「他のファンと連絡を取っていないか」「自分はその人にふさわしいのか」
――こうした問いが、絶えず頭の中でリピートされる。
それはまさに「無考」の対極にある、騒がしい思考の世界だ。

無考とは、目の前の現実を、思考を挟まずそのままに受け取る在り方である。
相手が誰であろうと、今この瞬間に共にいる事実に感謝し、その人の中にある静かな命を見つめること。
そうした関係の中では、相手がアイドルかどうかは問題にならない。
外見や肩書きに価値を置くのではなく、「この人といる今が、静かであたたかい」と感じられるかどうかが、本当の幸せの指標になる。

さらに言えば、「最良の相手」とは、頭で考えて選ぶものではない。
スペックや理想像を並べて「完璧な人」を追い求めるとき、人は常に欠けた部分を探し続ける。
「もっとこうだったらいいのに」「なぜこんな面があるのか」と、思考が相手を裁き始める。
だが、無考においては、その人のすべてを受け入れる。
良い面も、悪い面も、変わりゆく面も、そのまま共に在ることができる。
それが愛であり、そこにこそ深い幸福がある。

だからこそ、アイドルが最良のパートナーであるとは限らない。
むしろ、日常の中でそっと寄り添ってくれる存在、言葉少なくても通じ合えるような存在のほうが、ずっと心は安らぐかもしれない。華やかな関係よりも、静かで穏やかな関係の方が、無考という視点においては調和している。
それは、目立たないけれど確かな温かさに包まれた関係であり、内なる静寂を保ったまま過ごせる相手という意味で、最高のパートナーなのである。

「憧れの人と付き合えたら幸せだ」という思考のゲームから抜け出し、今目の前にいる人に静かに敬意を向けること。
そこには、妄想では味わえない真実がある。
幸福とは、外の条件を揃えることではない。
頭の中が静かであること。
自分が今、無考で在ること。
そしてその静寂の中で、誰かと呼吸を合わせていられること。
それが、本当の幸せなのだ。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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