思考で癌を引き寄せ、無考で癌を治した
私は長年、健康に対する強い執着を持っていた。
毎日のようにサプリメントを飲み、健康食品を調べ、病気に関する情報を収集していた。
「これを食べると癌になる」「あの添加物は危険だ」「このストレスが病気を引き起こす」といった情報に囲まれ、常に健康への不安を抱えて生きていたのである。
しかし、皮肉なことに、健康を気にすれば気にするほど、私の身体は不調をきたすようになった。
頭痛、不眠、消化不良。
そして最終的に、最も恐れていた癌という診断を受けることになったのである。
医師から告知を受けた瞬間、私は愕然とした。
あれほど健康に気を使っていたのに、なぜこのような結果になったのか。
しかし、その後の深い内省の中で、重要な真実に気づいたのである。
私は健康を求めていたのではなく、病気への恐怖に支配されていただけだったのだ。
思考は現実を創造する。
これは単なる精神論ではなく、宇宙の根本法則である。
私が常に病気のことを考え、癌への恐怖を抱いていたことで、まさにその現実を引き寄せてしまったのである。
「癌になったらどうしよう」、「癌にだけはなりたくない」という思考が、癌という現実を創り出していたのだ。
この気づきから、私は根本的に生き方を変える決意をした。
健康に関する一切の情報収集をやめ、サプリメントも処分し、病気への恐怖という思考を完全に手放すことにしたのである。
そして、「無考」の状態を目指し始めた。
無考への道のりは決して容易ではなかった。
長年染み付いた思考パターンは、まるで麻薬のように私の心を支配していた。
「健康に良い生活をしなければ死んでしまう」「このまま不健康な生活をしていいのか」といった恐怖の声が絶え間なく湧き上がってきた。
しかし、私はそれらの思考を一つひとつ観察し、手放していく作業を続けた。
無考とは、単に何も考えないということではない。
思考という雑音を完全に排除し、純粋な意識の状態になることである。
この状態では、過去の記憶も未来への不安も存在しない。
あるのは「今この瞬間」だけであり、その瞬間に宇宙の無限の可能性が宿っているのだ。
無考の状態に達すると、驚くべきことが起こり始めた。
身体の痛みが和らぎ、食欲が戻り、夜もぐっすり眠れるようになったのである。
そして何より、癌への恐怖が完全に消失していた。
病気も健康も、単なる思考が作り出した概念に過ぎないことを、身をもって理解したのである。
医師は私の回復ぶりに驚いた。
「奇跡的な治癒状況だ」と言ったが、私にとってそれは奇跡でも何でもなかった。
単に、癌を引き寄せていた思考を手放し、本来の治癒力を発揮しただけのことである。
人間の身体には、どんな病気をも治す力が備わっている。
ただ、思考がその力を阻害していただけなのだ。
この体験を通して、私は重要な真実を学んだ。
病気は敵ではなく、思考の産物である。
健康を追求することではなく、病気への恐怖を手放すことが真の治癒につながるのだ。
健康オタクだった頃の私は、健康という名のもとに、実は病気のエネルギーを増幅させていたのである。
現在の私は、健康について一切考えることがない。
食べたいものを食べ、やりたいことをやり、ただ今この瞬間を生きている。
そんな無考の状態でいることで、身体は常に最高の状態を保っているのである。
多くの人は「考えなければ病気になる」と恐れている。
しかし、真実は正反対である。
考えすぎるから病気になるのだ。
身体は思考よりもはるかに賢く、必要なことは全て自動的に行ってくれる。
心臓を動かすのに思考は必要ないし、傷を治すのにも思考は不要である。
思考は過去と未来にしか存在しない。
過去の後悔と未来への不安が、現在の身体に悪影響を与えているのである。
無考の状態では、過去も未来も存在せず、あるのは永遠の今だけである。
この今の瞬間に、完全な健康と無限の可能性が宿っているのだ。
癌という診断を受けたことは、私にとって最大の贈り物だったのかもしれない。
それがなければ、私は一生思考の奴隷として生き続けていただろう。
病気は私に真実を教えてくれた教師だったのである。
今、私は断言できる。
どんな病気も、思考を手放すことで治すことができると。
医学は症状を抑えることはできても、根本原因である思考を変えることはできない。
真の治癒は、無考の状態でのみ可能なのである。
思考という幻想から解放されたとき、人は本当の意味で自由になる。
病気も健康も、成功も失敗も、全て思考が作り出した概念に過ぎない。
無考の状態では、そのような二元的な判断から完全に解放され、純粋な存在として生きることができるのである。
私の体験が証明している通り、無考になれば何でも可能になる。
制限は思考の中にのみ存在し、現実には何の制限も存在しないのだ。
この真実に気づいたとき、あなたの人生は根本的に変化し、無限の可能性が目の前に広がることになるだろう。