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無考と願望実現

私たちの心の中には、常に絶え間ないおしゃべりが流れている。
「あれはどうしよう」「これは大丈夫だろうか」「明日の準備は」「昨日のあの出来事は」と、思考という名のノイズが24時間休むことなく響き続けている。
この思考の流れこそが、私たちと本来の力を隔てる最大の障壁なのだ。

無考とは、この心の中のおしゃべりを完全に停止させた状態のことを指す。
思考が止まったとき、私たちは本来の自分と直結する。
そこには制限も疑いも存在しない。
ただ純粋な意識だけがあり、その意識から生まれる意図は、現実世界において驚くべき力を発揮する。

多くの人は願望実現について語るとき、様々な手法やテクニックを提案する。
アファメーション、視覚化、感謝の実践。
これらの手法は確かに一定の効果を持つかもしれない。
しかし、そのすべてに共通する根本的な問題がある。
それは、これらの手法を実践している最中も、思考が動き続けているということだ。

思考が動いている限り、私たちは分離の世界に留まり続ける。
「私」と「願望」、「現在の状況」と「理想の状況」、「可能」と「不可能」という二元論的な世界の中で、常に制限と戦い続けることになる。
この戦いの中では、真の創造は起こりえない。

無考の状態に入ることで、この分離は完全に消失する。
思考という媒体がないため、「私が何かを実現したい」という概念すら存在しない。
そこには純粋な存在だけがあり、その存在から自然に湧き上がる意図が、直接的に現実を形作っていく。

この状態では、願望実現は努力や戦略の結果ではなく、自然な流れの一部となる。
ちょうど川の水が自然に海へ向かって流れるように、意図は抵抗なく現実化への道筋を辿る。
私の司法試験の合格も、経済的な豊かさも、癌からの回復も、すべてがこの自然な流れの中で起こった出来事だった。

無考に入る方法は、実は驚くほどシンプルだ。
座って目を閉じ、頭の中に浮かんでくる思考を一つずつ手放していく。
「考えてはいけない」と努力するのではなく、ただ思考に気づき、それを優しく流していく。
最初は数秒、やがて数分、そして長時間にわたって思考のない状態を保てるようになる。

この実践を続けていると、ある瞬間に大きな変化が起こる。
思考が完全に止まり、静寂だけが残る瞬間だ。
その静寂の中で、本来の自分と出会う。
その自分は、制限も疑いも知らない。
その自分から湧き上がる意図は、現実世界において絶対的な力を持つ。

願望実現における最大の秘密は、実現したい願望について考えないことだ。
思考の中で願望を描き続ける限り、それは思考の世界に留まり続ける。
しかし、無考の静寂の中で意図を設定すると、その意図は思考の制限を受けることなく、直接現実に働きかけ始める。

この過程では、従来の因果関係を超えた現象が頻繁に起こる。
必要な人との偶然の出会い、予期せぬ機会の到来、問題の自然な解決。
これらは偶然ではなく、無考の状態で設定された意図が現実を再構成した結果なのだ。

多くの人が願望実現で挫折する理由は、思考レベルでの実践に留まっているからだ。
思考は過去の経験や社会の常識という制限の枠組みの中でしか機能しない。
そのため、思考ベースの願望実現は、既存の制限の範囲内での改善に留まってしまう。

しかし、無考の状態では、これらの制限は存在しない。
過去の経験も社会の常識も、単なる思考の産物に過ぎないことが明らかになる。
この認識の下で設定された意図は、既存の制限を軽々と超越し、不可能とされていた現実を創造する。

無考による願望実現は、単なるテクニックではなく、存在の在り方の変化だ。
思考に支配された存在から、純粋な意識として存在する在り方への変化。
この変化が起こったとき、願望実現は自然な結果として現れる。

癌という診断を受けたとき、医学的な常識では厳しい状況だった。
しかし、無考の状態で純粋な意図を設定したとき、その常識は単なる思考の構築物に過ぎないことが明らかになった。
健康への意図が設定されると、体は自然にその意図に従って回復へと向かった。

経済的な豊かさも同様だった。
「お金を稼がなければならない」「競争に勝たなければならない」という思考の制限を超えて、純粋な豊かさへの意図を設定したとき、予期せぬ形で豊かさが流れ込んできた。

これらの体験を通して確信したことは、現実は思考が作り出す制限によって形作られているということだ。
そして、その制限を超越する唯一の方法は、思考そのものを超越することなのだ。

無考の実践は、最初は困難に感じるかもしれない。
長年にわたって思考と同一化してきた私たちにとって、思考のない状態は未知の領域だからだ。
しかし、その困難を乗り越えたとき、待っているのは想像を遥かに超えた可能性の世界だ。

真の願望実現は、願望について考えることから始まるのではなく、すべての思考を手放すことから始まる。
その静寂の中で、本来の力が目覚める。
そして、その力によって、現実は私たちの最も深い意図に従って再構成されていく。

これが、無考による願望実現の真実である。
思考の制限を超越し、純粋な意識として存在するとき、私たちは現実の創造主としての本来の姿を取り戻すのだ。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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