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話し方を上達させたいなら「無考」になろう。聴く力が言葉を変える理由

多くの人が「話し方を上達させたい」と思っている。
人前で緊張せずに話したい、言いたいことをうまく伝えたい、誤解されずに済むようになりたい。
そうした願いの裏には、人との関係をより良くしたいという自然な欲求がある。
だからこそ、話し方はただのスキルではなく、生き方そのものと深く関わっている。

話し方を磨こうとするとき、私たちはたいてい「何をどう言うか」に意識を向ける。
声のトーン、語彙の選び方、話の構成、ジェスチャー――それらは確かに有効な技術だ。
しかし、それ以前にもっと根本的な部分がある。
それが「聴く力」であり、さらに深くいえば、「無考」で聴く力である。

無考とは、頭の中のおしゃべりを止めることである。
相手が話している間に「次は何を言おうか」と考えたり、「この人は間違っている」と判断したりすることをせず、ただ黙って耳を澄ませる。
思考をはさまず、相手の言葉と沈黙の両方に意識を開く。
そこにあるのは、受け取ることそのものへの全的な集中である。

このようにして「無考で聴く」ことができるようになると、不思議なことが起こる。
話す力が自然と育っていくのだ。
なぜなら、話し方の本質は、相手とどう響き合うかにあるからだ。
一方的に話すのではなく、相手の波長に自分を合わせ、その場にふさわしい言葉が自然に生まれてくるようになる。

多くの人が話し下手になる理由は、「何をどう言うか」を自分で操作しようとするあまり、今この瞬間の流れを見失っているからである。
対話とは本来、即興的な芸術である。
台本通りに進めるものではなく、相手の反応を感じ取りながら、その場で生まれていくものだ。
無考の状態は、この即興性を最大限に引き出す。

無考で聴いていると、相手の話の中にある微妙なニュアンスや感情の動きが感じ取れるようになる。
そして、それに共鳴するように、自分の中から自然に言葉が湧いてくる。
それは、準備されたセリフではなく、その場でしか生まれない「本物の言葉」である。だからこそ、聞き手の心に深く届く。

また、無考で話すとき、話す内容そのものよりも「在り方」が相手に伝わる。
自分をよく見せようとか、うまくまとめようという思考を手放し、ただ誠実に今の気持ちを語る。
その姿勢が、聞き手に安心感と信頼をもたらす。言葉は技術ではなく、状態の反映なのだ。

話し方を上達させたいと思うなら、まず思考を静めてみることだ。
話す練習の前に、聴く練習。聴く練習の前に、沈黙に慣れる練習。
頭を使うのではなく、心を澄ませること。そうすることで、会話は対立や誤解の場ではなく、理解と共感の場へと変わっていく。

無考でいることは、会話を軽やかにする。言葉に詰まってもいい、沈黙が訪れてもいい。そこに何も問題はない。
むしろ、その静けさの中に、もっと大切なものが息づいている。
人は、言葉の巧みさに惹かれるのではなく、言葉の背後にある静けさと誠実さに心を動かされる。

話し方の上達とは、無駄な思考を削ぎ落とし、言葉に純度を取り戻すことに他ならない。
無考は、そのための最短で最深の道である。

今日から、話し方の練習をやめて、まずは聴くことに意識を向けてみよう。
ただ黙って、相手の言葉に心を澄ませてみる。
やがて、必要な言葉は自然に口からこぼれてくる。

その時、あなたの話し方は誰よりも魅力的で、誰よりも本物になっているはずだ。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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