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思考を止める方法-無考による奇跡

多くの人は一度は「頭の中を静かにしたい」と願ったことがあるだろう。
夜眠る前に今日の失敗を思い返し、未来の不安をシミュレーションし、過去の後悔を再生する。
気がつけば何十分、何時間も同じ思考のループを繰り返し、眠れずに朝を迎える。
日中もまた同じだ。
会議中に話の途中から別の心配事が浮かび、移動中は過去の人間関係のいざこざを思い出しては感情をぶり返す。
頭は常にフル回転し、脳は疲れ果てている。
ネットで検索すれば「思考を止める方法」と称して瞑想、呼吸法、運動、断食など様々な手段が紹介されている。
しかし、多くの場合それらは一時的な効果しかもたらさない。
やり終えた瞬間から、また思考が始まるのだ。
かつての私もそうだった。

私は司法試験の受験生だった頃、まさに思考の暴走に苦しんでいた。
試験範囲は膨大で、勉強すればするほど「まだ足りないのではないか」という不安が強まった。
参考書を開いても集中できず、頭の中では「このままで合格できるだろうか」という問いが延々と繰り返される。
試験までの日数を数えては焦り、過去問の間違いを見ては落ち込む。
脳は常に働き続けているのに、成果は伴わない。この悪循環から抜け出す方法を必死で探していた。
そんなある日、私は意図せず「思考が止まる」瞬間を経験した。

それは勉強疲れが極限に達した深夜だった。
目はテキストを見ているのに、もう分析も判断もしていない。
ただ文字が視界に入っては消えていく。そこには努力も集中もなく、静けさだけがあった。
不思議なことに、その静けさの中で答えが自然に浮かび、必要なページが勝手に開かれ、覚えようとしなくても頭に入っていった。
後から振り返ると、それは顕在意識が完全に沈黙し、潜在意識が主導権を握った瞬間だった。
この時の感覚を、私は「無考」と名付けた。

無考は、単に何も考えないこととは違う。
ぼんやりしている状態や、寝ぼけている状態とも違う。
むしろ感覚は冴えており、心は落ち着き、行動は的確になる。
思考が止まるというより、必要な思考だけが選び抜かれて浮かんでくる感覚だ。
この状態では、判断が速く、迷いがない。
試験勉強だけでなく、人間関係の場面でも、仕事の交渉でも、同じ効果が現れる。
思考を止める方法を探す人にとって、無考はその最終形だと断言できる。

では、どうすればこの状態に入れるのか。
第一の鍵は「思考を止めようとしない」ことである。
人間は「考えるな」と言われると、その瞬間に何かを考え始める。
「思考を止める」という行為そのものが、新たな思考を生む。
だから、止める努力は逆効果だ。代わりに行うべきは、思考を観察することである。
頭に浮かんだ考えを追いかけず、「ああ、そういう考えが浮かんできたな」と眺める。
これは、街を歩く人を窓から眺めるようなものだ。
通り過ぎる人にいちいち声をかけないのと同じように、浮かぶ思考に参加しない。
ただ存在を認めるだけだ。

この観察を繰り返すと、思考は次第に勢いを失う。
最初は数秒しか続かないかもしれないが、それで十分だ。
少しずつ、その静けさが長くなる。
そして、ある瞬間、完全な無のような状態が訪れる。
この時、頭の中は空白でありながら、外界に対する感覚はむしろ研ぎ澄まされている。
これが無考であり、思考を止める方法の核心である。

私はこの方法を日常にも応用した。
歩いている時、電車に乗っている時、食事をしている時、頭に浮かぶ言葉を追わず、ただ受け流す練習をした。
特に効果的だったのは、感情が揺れた瞬間だ。
怒り、不安、悲しみ―これらは全て思考と結びついている。
怒りの時は過去の出来事を反芻し、不安の時は未来の失敗を想像する。
だが、感情の発端となる思考を観察すると、その感情は長続きしない。
こうして、私は人間関係のストレスからも解放されていった。

無考の効果は精神面だけではない。
私は後に、予期せぬ病―癌に直面した。
普通なら恐怖や絶望で思考が暴走する状況だ。
しかし私は無考を実践することで、病に対する過剰な恐れや後悔を手放すことができた。
その結果、治療方針の決定も冷静に行え、生活改善にも集中できた。
そして私は癌を克服した。
医師は「奇跡だ」と言ったが、私にとっては無考の力の延長線上だった。

思考を止める方法を求める人は多いが、その多くは一時的なテクニックで満足してしまう。
本当に人生を変えるには、無考を習慣にする必要がある。
習慣化のためには、まず日常の中で「今ここ」に意識を置く練習をする。
洗い物をする時は、ただ水の感触を感じる。
歩く時は、足の着地と離れる感覚だけを感じる。
こうした小さな訓練が、やがて大きな静けさを生む。
そしてその静けさは、仕事の成果、人間関係の質、健康の維持にまで影響を与える。

私は今も無考の中で生きている。
必要な時にだけ思考を使い、それ以外は静かに漂っている。
現代社会は情報の洪水であり、多くの人が常に思考を働かせすぎている。
だが、思考を止めることでこそ、本当の力が発揮される。
無考は、努力を超えた成果をもたらし、人生そのものを変える。
思考を止めたいと願う全ての人に、この方法を体験してほしいと心から思う。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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