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アファメーションと無考

アファメーションという手法が広く知られるようになって久しい。
「私は成功する」「私は愛されている」「私は豊かである」といった肯定的な言葉を繰り返すことで、潜在意識を書き換え、現実を変えていくという方法である。
多くの人がこの実践に取り組み、確かに一定の効果を実感している。
しかし、真の変容を求めるならば、アファメーションを超えた境地へと歩みを進める必要がある。それが無考の状態である。

アファメーションの本質は、否定的な思考パターンを肯定的なものに置き換えることにある。
ネガティブな内なる声を、ポジティブな言葉で上書きしようとする試みである。
これは確かに有効な方法であり、多くの人の人生に変化をもたらしてきた。
しかし、ここには根本的な問題が潜んでいる。
それは、思考そのものの枠組みから抜け出していないということである。

どれほど美しく力強いアファメーションであっても、それは結局のところ思考の産物である。
頭の中のおしゃべりの一形態に過ぎない。
ネガティブな思考をポジティブな思考に変えることはできるが、思考の支配からは解放されない。
むしろ、「正しい思考」を維持しようとする新たな努力と緊張を生み出すことがある。

真の自由は、思考を変えることではなく、思考から自由になることにある。
そして、その自由こそが無考の状態なのである。
無考とは、肯定的思考も否定的思考も、すべての思考を手放すことである。
頭の中のおしゃべりそのものを止めることである。
この静寂の中でこそ、本当の変化が起こる。

アファメーションを実践する人の多くが経験するのは、一時的な高揚感の後に訪れる反動である。
「私は成功する」と唱えながらも、心の奥底では「本当にそうなるのだろうか」という疑いが渦巻く。
この内なる葛藤こそが、思考に依存することの限界を示している。
肯定的思考と否定的思考が常に綱引きを続け、心は平安を得ることができない。

無考の状態では、このような思考の対立そのものが消失する。
肯定も否定もなく、ただ在ることの純粋さだけがある。
この純粋さの中で、私たちは自分の本来の力と直接つながることができる。
それは、言葉や概念を超えた、存在そのものの力である。
アファメーションが外側から与えようとする力に対し、無考は内側から湧き上がる力を解放する。

興味深いことに、無考の状態を体験した人は、もはやアファメーションを必要としなくなる。
なぜなら、「私は成功する」という言葉で表現しようとしていた状態そのものに、既に存在しているからである。
成功も失敗も超えた完全性の中に、自分がいることを知るからである。
言葉で説得する必要がない。既に、すべてを持っているのである。

これは、アファメーションを否定することではない。
それは多くの人にとって有用な入り口である。
しかし、それが最終目的地ではないということを理解しておく必要がある。
アファメーションは、無考への階段の一段に過ぎない。
やがては手放すべき道具なのである。

実際の実践においては、アファメーションから無考への移行は自然に起こる。
最初は言葉を唱えていても、やがてその言葉が静寂の中に溶けていく瞬間がある。
その瞬間こそが、真の変容の始まりである。
言葉を超えた領域に触れた体験である。
その体験を深めていくことで、私たちは思考の束縛から完全に自由になることができる。

無考の状態では、願望の実現さえも超越する。な
ぜなら、願望そのものが思考の産物であり、真の自分には何も欠けていないことを知るからである。
その完全性の認識こそが、すべての可能性を開く鍵となる。
アファメーションで求めていたもの以上のものが、努力なしに自然に現れてくるのである。

今日、もしアファメーションを実践するならば、その言葉の向こう側にある静寂に耳を澄ませてみよう。
言葉が消えた後の空間に意識を向けてみよう。
その空間こそが、すべての答えが眠っている場所である。
アファメーションという舟に乗って、無考という彼岸へと渡っていこう。
そこには、言葉では表現できない真の豊かさが待っている。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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