成功する人の共通点は“無考”だった
世の中には、同じような環境、似たような条件からスタートしても、最終的に大きな成果を手にする人と、そうでない人がいる。
その差は一体どこから生まれるのか。
長年、多くの人は「努力」「才能」「運」をその理由として挙げてきた。
しかし私の人生を振り返ると、これらは確かに一因ではあるが、決定的な要因ではないと断言できる。
私は司法試験に合格し、年収三千万円を超える収入を得て、さらには癌を克服した。
この三つの出来事は一見別々の成功に見えるが、その根底には一つの共通点がある。
それは、思考に支配されない心―すなわち「無考」の状態である。
多くの人が成功のために必要だと信じているのは、徹底的な計画や緻密な戦略だ。
もちろんそれらは有効な場面もある。
しかし現実には、考えすぎることが行動を遅らせる原因になっている。
あらゆるリスクを想定し、あらゆる選択肢を比べ、最悪の事態を避けようとするあまり、一歩も踏み出せない人がどれほど多いことか。
成功する人の共通点は、必要な時にだけ思考を使い、それ以外の時は静かに心を空にする能力である。
私はこれを「無考」と呼んでいる。
無考は単なるリラックスやぼんやりとは違う。
それは、頭の中のおしゃべりが完全に止まり、意識が澄み渡った状態である。
この状態では、直感が冴え、迷いが消え、行動が自然に起こる。
私はこの状態を司法試験の勉強中に偶然発見した。
当時の私は、試験範囲の広さと時間のなさに押しつぶされそうになっていた。
頭の中では「このままでは間に合わない」「何を優先すべきか」という声が途切れなく流れていた。
だがある日、極度の疲労の中で、突然その声が消えた。
頭は静まり、目の前のテキストの内容が自然に入ってくる。
必死に覚えようとしなくても、知識が整理され、必要なときに取り出せる。
これが無考の最初の体験だった。
この経験から、私は勉強の質を根本的に変えた。
勉強時間の一部を、意識的に無考に入る練習に充てた。
方法はシンプルだ。
椅子に座り、目を閉じ、浮かんでくる考えを追いかけない。
ただ「ああ、また考えているな」と眺め、手放す。
これを繰り返すことで、試験当日も緊張や不安に支配されず、問題文を読んだ瞬間に答えが浮かぶようになった。
結果として私は司法試験に合格した。
ここで学んだのは、成功する人の共通点は知識量や努力量だけではなく、心の静けさを保ちながら必要な行動を即座に取れることだという事実だった。
この無考の力は、仕事においても同じ効果を発揮した。
司法試験合格後、私はビジネスの世界に入り、多くの案件を抱えるようになった。
クライアントとの交渉の場では、一瞬の判断が結果を左右する。
頭の中で次の発言を必死に組み立てていると、相手の表情や声のトーンの変化を見逃してしまう。
しかし無考の状態では、相手の発する言葉の裏にある意図や感情が直感的に分かる。
その直感は、複雑な戦略を立てた結果よりも、はるかに正確な答えを導くことが多かった。
こうして私は収入を年々伸ばし、ついには年収三千万円を超えるまでになった。
これもまた、成功する人に共通する「直感を信じ、迷わず行動する」という力のおかげだった。
しかし、私の人生最大の試練はここから訪れた。
癌の診断である。
多くの人がこの病を前にすると、恐怖と不安に押し潰される。
実際、私も最初はその波に飲まれかけた。
だが、すぐに気づいた。恐怖や不安は未来を予測する思考から生まれている。
ならば、その思考を静めればいい。
私は診断当日から、無考の時間を増やした。
治療法を検討する時も、余計な感情を持ち込まないようにした。
結果、必要な判断を冷静に下せ、体力や免疫力を削ることなく治療に臨めた。
そして数ヶ月後、私は癌を克服した。
医師は驚いたが、私にとっては必然だった。
無考は心と体の力を最大限に引き出す。
その力は試験にも仕事にも、病の克服にも通じる。
こうして振り返ると、司法試験合格、年収三千万円、癌克服―この三つの成功に共通していたのは、「思考を必要な時だけ使い、それ以外は静める」という習慣だった。
これが成功する人の最大の共通点だ。
努力も戦略も重要だが、それらは静かな心の上でこそ最大限の効果を発揮する。
現代社会は情報に溢れ、常に思考を求められる。
しかし、本当の勝者は、必要な時にだけ思考を使える人間である。
無考は誰にでも習得できる。
最初は数秒でもいい。浮かんだ思考を追わず、ただ観察する。
その積み重ねが、直感と行動力を磨き、成功への道を開く。
私はそれを自分の人生で証明してきた。
成功する人の共通点を一つ挙げるなら、それは無考である。
この静けさの力を持つ者は、どんな分野でも、どんな状況でも、最終的に勝利を手にするのだ。