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今この瞬間に隠された永遠の扉

「時間がない」 「もう遅い」 「まだ早い」

私たちの人生は、時間という見えない鎖に縛られている。

過去の後悔が重い荷物のように肩にのしかかり、未来への不安が心を騒がせ続ける。そして「今」という瞬間は、過去と未来に挟まれた、ほんの小さな通過点でしかないかのように感じられる。

しかし、ある静寂の体験を通じて、私は時間に対する根本的な誤解に気づいた。

それは、長時間の瞑想中に起こった出来事だった。いつものように呼吸に意識を向けていると、突然、思考の流れが完全に停止した瞬間があった。

その瞬間、不思議なことが起こった。 時間が消失したのだ。

過去も未来もない。 「今」という概念すらない。 ただ、永遠に続く「在ること」だけがあった。

そして気づいた時、外の世界では2時間が経過していた。 しかし私の意識にとっては、それは一瞬でもあり、永遠でもあった。

この体験が、私に時間の真実を教えてくれた。

時間とは、思考が作り出す幻想なのだということを。

私たちは常に、頭の中で過去の記憶を再生し、未来のシナリオを描いている。この思考の動きこそが「時間の流れ」という感覚を生み出している。

しかし、思考が完全に静まった時、時間は存在しなくなる。 そこにあるのは、永遠に続く「今」だけだ。

この「永遠の今」こそが、真の現実なのだ。

無考の状態では、幼少期の記憶も、現在の感覚も、未来の可能性も、すべてが同じ瞬間に同時に存在する。時間という線的な流れが円になり、そして最終的には一つの点に収束する。

この理解は、人生に革命的な変化をもたらす。

過去の失敗や後悔が、もはや重荷ではなくなる。なぜなら、それらは「今この瞬間」の完全性の一部だと理解できるからだ。すべての体験が、現在の自分を形作るために必要だった貴重な要素だったのだということが、深いレベルで腑に落ちる。

未来への不安も消失する。なぜなら、必要なすべては「今この瞬間」に既に含まれていることが分かるからだ。未来は未知の領域ではなく、現在の瞬間から自然に開花する可能性なのだ。

そして最も重要なことは、「今この瞬間」に完全に在ることで、時間を超越した存在としての自分を体験できることだ。

老いや死への恐れが根本的に変化する。肉体は時間の中で変化するが、真の自分は時間を超えた永遠の意識だということが体験として理解できる。

この永遠の意識に触れることが、真の不死への扉なのだ。

実践は驚くほどシンプルだ。

今、この文章を読んでいるあなた。 少しだけ読むことを止めて、自分の呼吸を感じてみてほしい。

息を吸って、息を吐く。 その単純なリズムに、完全に意識を集中する。

3回呼吸したら、次に自分の周りの音に耳を傾けてみる。 鳥の声、車の音、誰かの足音、エアコンの音… それらすべてを、判断することなく、ただ聞く。

そして最後に、自分の体の感覚を感じてみる。 椅子に触れている背中の感触、足の裏の感覚、服が肌に触れる感じ…

この練習を続けていると、ふと気づく瞬間がやってくる。 「今この瞬間」が、実は無限の豊かさに満ちていることに。

過去に求めていたもの、未来に期待していたもの、すべてが実は「今ここ」に既に存在していることに。

愛も、平安も、喜びも、満足も。 すべてが現在の瞬間の中に、完璧な形で用意されている。

時間に追われる生活から、時間を超越した生き方へ。 常に「何かが足りない」という感覚から、「すべてが既に完璧」という理解へ。

これが、無考がもたらす最も美しい恩恵の一つだ。

今日という日が、あなたにとって特別な一日でありますように。 なぜなら、今日こそが永遠の入り口だから。

そして「今この瞬間」こそが、時間を超越した真の人生が始まる場所だから。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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