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無考瞑想法のやり方-日常こそが大事

多くの人が無考や瞑想について誤解していることがある。
それは、静かな部屋で座禅を組んだり、特別な時間を設けて行うものだと考えていることである。
確かに集中的な瞑想は重要な役割を果たすが、それはあくまで補完的なものに過ぎない。
真の無考瞑想法とは、日常生活の中で実践してこそ意味があるのだ。

朝起きてから夜眠るまでの間、私たちは無数の行動を繰り返している。
歯を磨く、シャワーを浴びる、食事をする、歩く、仕事をする、人と話す。
これらすべてが無考を実践する絶好の機会である。
特別な場所や時間は必要ない。今この瞬間、あなたがしていることそのものが、無考瞑想の実践場なのだ。

私が無考を本格的に実践し始めたのは、司法試験の受験勉強中だった。
最初は毎朝三十分の座禅から始めた。
静寂の中で呼吸を整え、思考を止める練習を積んだ。
しかし、座禅が終わって日常生活に戻ると、すぐに頭の中のおしゃべりが再開してしまう。
朝の瞑想で得た静寂な状態は、一時間もしないうちに消え去ってしまうのだった。

そこで気づいたのは、集中的な瞑想は無考状態を体験するための入り口に過ぎないということである。
本当に重要なのは、その状態を日常生活の中で維持し続けることだった。
歯を磨いている時に「今日の予定は何だったか」と考え始めたら、即座に歯ブラシの感触に意識を戻す。
電車に乗っている時に「今日は授業で何を話そう」という思考が浮かんだら、足裏の感覚や車両の揺れに注意を向ける。
食事中に「明日の締切に間に合うだろうか」と心配になったら、口の中の味覚だけに集中する。

このような日常の実践を続けていくうちに、驚くべき変化が起こった。
勉強の集中力が劇的に向上したのである。
テキストを読む時、頭の中で「この問題は難しそうだ」「覚えられるだろうか」といった評価や不安の声が消え、純粋に文字を追い、内容を理解することだけに没頭できるようになった。
その結果、記憶の定着も格段に良くなり、最終的に司法試験に合格することができた。

ビジネスの世界でも、日常的な無考の実践が大きな成果をもたらした。
商談の最中、相手の話を聞きながら「どう返答しよう」「この提案は通るだろうか」といった思考が湧いてくると、相手の本当の意図や感情を見逃してしまう。
しかし、思考を止めて相手の声のトーン、表情の微細な変化、言葉の間に完全に注意を向けると、言葉では表現されない重要な情報を察知できるようになった。
このような直感的な理解力が、年収三千万円達成の大きな要因となった。

集中的な瞑想の役割を否定するつもりはない。
毎朝の座禅や呼吸法の実践は、無考状態がどのようなものかを体験し、その感覚を身につけるために極めて重要である。
しかし、それは楽器の練習のようなものだ。ピアノの基礎練習をいくら積んでも、実際に演奏しなければ音楽にはならない。
無考も同様で、静かな部屋での瞑想で身につけた技術を、実際の生活場面で活用してこそ真の力となるのである。

日常生活での無考実践には、いくつかのコツがある。
まず、一度に長時間続けようとしないことだ。
最初は一つの動作、一つの瞬間だけに集中する。
歯磨きなら最初の十秒間だけ、歩くなら最初の十歩だけでも構わない。
短い時間でも完全に無考状態に入ることができれば、それは大きな進歩である。

また、失敗を恐れないことも重要だ。
思考が湧いてくるのは自然なことであり、それ自体を問題視する必要はない。
大切なのは、思考に気づいた瞬間に、再び今この瞬間の行動や感覚に意識を戻すことである。
この「気づいて戻る」という動作を繰り返すことで、徐々に無考状態を維持できる時間が長くなっていく。

私が癌の告知を受けた時、最も頼りになったのも日常生活での無考実践だった。
病院のベッドで横になっている時、「この先どうなるのか」「家族に迷惑をかけるのではないか」といった思考が次々と湧いてくる。
しかし、そのたびに呼吸の感覚、シーツの触感、天井の模様など、今この瞬間に存在するものに意識を向け直した。
一日中この実践を続けることで、不安や恐怖に支配されることなく、治療に専念できた。
その結果、予想以上の回復を遂げることができたのである。

現代社会では、スマートフォンやインターネットによって、私たちの注意は常に散漫になりがちである。
しかし、だからこそ日常生活での無考実践がより重要になってくる。
電車での移動中にスマートフォンを見る代わりに、車窓の景色に集中する。
エレベーターを待っている間に将来の心配をする代わりに、足裏の感覚に注意を向ける。
このような小さな実践の積み重ねが、やがて大きな変化をもたらすのだ。

無考瞑想法の真のやり方は、特別な技術や道具を必要としない。
必要なのは、今この瞬間に完全に存在するという意志だけである。
朝起きてから夜眠るまでの間、あらゆる瞬間が無考を実践する機会となる。
集中的な瞑想は、この日常実践をサポートする補完的な役割を果たすが、メインはあくまで生活そのものなのである。

日常生活の中で無考を実践することで得られる恩恵は計り知れない。
集中力の向上、直感力の開発、ストレスの軽減、人間関係の改善など、あらゆる面で人生の質が向上していく。
そして何より、常に頭の中でささやかれていた不安や心配の声が消えることで、深い平安と静寂を体験することができるのである。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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