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無考によって限界を超える

人間の可能性は、思考によって制限されている。
私たちが日常的に行っている「考える」という行為こそが、本来持っている力を封じ込めてしまう最大の要因であると私は確信している。

火事場のバカ力という現象を考えてみよう。
緊急事態において、普段では絶対に持ち上げられない重いものを持ち上げたり、信じられないような身体能力を発揮したりする人がいる。
この時、その人の頭の中はどうなっているだろうか。
おそらく「重すぎて無理だ」「こんなことできるはずがない」といった思考は一切働いていない。
純粋に目の前の状況に反応し、身体が勝手に動いているのである。

これこそが「無考」の状態であり、人間が本来持っている潜在能力が発揮される瞬間なのだ。
思考が介入しないからこそ、身体の制限を超えた力が湧き出てくる。
普段私たちが「これは無理だ」「できるはずがない」と考えている限り、その思考が現実となり、本当にできなくなってしまうのである。

無考の状態に入るためには、まず頭の中のおしゃべりを静める必要がある。
私たちの頭の中は常に何かしらの思考が駆け巡っている。
過去の後悔、未来への不安、現在の判断、評価、分析。
これらすべてが実は私たちの可能性を狭めているのだ。

思考は確かに重要な機能である。
しかし、思考に支配されてしまうと、直感や本能的な知恵が働かなくなってしまう。
動物たちを見てみよう。
彼らは複雑な思考をしないが、驚くべき能力を発揮する。
渡り鳥は地図もコンパスもなしに何千キロもの距離を正確に移動し、イルカは超音波で周囲の状況を完璧に把握する。
彼らには人間のような複雑な思考はないが、それゆえに本来の能力を存分に発揮できるのである。

無考の状態に入ると、時間の感覚も変わってくる。
思考している時は時間を意識し、「時間が足りない」「もう遅い」といった制限を自分に課してしまう。
しかし無考の状態では、時間という概念そのものが薄れ、今この瞬間に完全に集中できるようになる。
この集中状態こそが、驚異的な成果を生み出す源泉となるのだ。

スポーツの世界では「ゾーン」と呼ばれる状態がある。
この状態に入った選手は、信じられないようなパフォーマンスを発揮する。
バスケットボール選手がどんなに難しいシュートも決め続けたり、テニス選手がまるで時間が止まったかのように相手のボールを返したりする。
この時、選手たちは何も考えていない。
ただ身体が勝手に動き、最適な動作を続けているのである。

学習においても同様のことが言える。
必死に覚えようと思考を働かせている時よりも、リラックスして無心で取り組んでいる時の方が、情報が頭に入りやすい。
子供たちが遊びながら言語を覚えていくのも、楽しみながら無心で取り組んでいるからこそである。
大人になって語学学習が困難になるのは、「覚えなければ」「理解しなければ」という思考が邪魔をしているからではないだろうか。

しかし現代社会は思考を重視し、常に考えることを求める。
学校教育でも「よく考えなさい」と教えられ、仕事でも論理的思考が評価される。
もちろんこれらも重要だが、思考だけに頼り切ってしまうと、本来の力を発揮できなくなってしまう。

無考の状態に入るための具体的な方法はいくつかある。
まずは呼吸に注意を向けることだ。
ゆっくりと深い呼吸を続けていると、自然と思考が静まってくる。
また、単純な作業に集中することも効果的である。
掃除、散歩、単純な手作業など、頭を使わずに身体を動かすことで、思考から離れることができる。

瞑想も無考に至る有効な手段である。
ただし、瞑想を「正しくやろう」と思考してしまうと逆効果になる。
ただ座って、何も考えずにいるだけでよい。
思考が浮かんできても、それを判断せずに流していく。
この練習を続けることで、日常的に無考の状態に入れるようになる。

無考の状態では、直感が鋭くなる。
論理的に考えて出した答えよりも、瞬間的に浮かんだ直感の方が正しいことが多い。
これは思考による制限がなくなり、より広い視野から物事を捉えられるようになるからである。

問題解決においても、無考のアプローチは非常に有効である。
複雑に考えすぎると、かえって解決策が見えなくなることがある。
しかし一度思考を手放し、問題を別の角度から眺めてみると、意外にシンプルな解決策が見つかることが多い。

人間関係においても無考は力を発揮する。
相手の言葉を頭で分析し、どう返答すべきかを考えているうちは、本当のコミュニケーションは生まれない。
しかし思考を手放し、相手の存在をそのまま受け入れると、自然と適切な言葉が出てくる。
この時の言葉には、思考で作り上げた言葉にはない温かみと説得力がある。

身体能力の向上にも無考は欠かせない。
筋力トレーニングにおいても、「重いから上がらない」と思考してしまうと、本当に上がらなくなる。
しかし重さという概念を忘れ、ただ身体を動かすことに集中すると、思いもよらない力が発揮される。

病気の治癒においても、無考の状態は重要な役割を果たす。
「治らない」「悪化している」という思考は、実際に治癒を妨げる可能性がある。
しかし病気のことを忘れ、今この瞬間を生きることに集中すると、身体の自然治癒力が最大限に発揮される。
心と身体は密接に繋がっており、心の状態が身体に直接影響を与えるのである。

経済的成功においても、無考のアプローチは効果的である。
「お金がない」「稼げない」という思考に囚われているうちは、実際に豊かさから遠ざかってしまう。
しかし金銭的な制限を忘れ、純粋に価値を提供することに集中すると、自然と富が流れ込んでくる。

無考の状態では、恐怖も消えていく。
恐怖の多くは思考が作り出した幻想である。
「失敗したらどうしよう」「人にどう思われるか」といった思考が恐怖を生み出す。
しかし思考を手放すと、恐怖も一緒に消え、本来の勇気が現れてくる。

無考の状態は、決して何も考えない愚かな状態ではない。
むしろ思考を超えた、より高次の知性が働いている状態である。
この知性は個人の経験や知識の範囲を超え、宇宙の法則そのものと繋がっているかのような働きを見せる。

日常生活の中で無考を実践するには、まず小さなことから始めるとよい。
朝起きる時、思考を働かせずにベッドから出てみる。
歯を磨く時、何も考えずに動作だけに集中してみる。
こうした些細な実践の積み重ねが、やがて大きな変化をもたらす。

無考は決して逃避ではない。
現実から目を逸らすことでもない。
むしろ現実をより深く、より直接的に体験することである。
思考というフィルターを通さずに世界を見ることで、これまで気づかなかった可能性が見えてくる。

この無考の力を信じ、日々実践していけば、きっと誰でも自分の限界を超えた力を発揮できるようになる。
思考の檻から解放された時、人間の真の可能性が開花するのである。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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