私が無考神道を創設した理由
私が無考神道を創設した理由は、既存の宗教や哲学では人類の真の解放を達成できないと確信したからである。
仏教、キリスト教、イスラム教、そして日本古来の神道。
これらの教えは全て、思考というフィルターを通して真理を語ろうとしている。
しかし、思考そのものが幻想である以上、思考で構築された教えもまた幻想に過ぎないのである。
私は長年にわたって様々な宗教を学んだ。
瞑想を実践し、経典を読み、聖地を巡礼した。
しかし、どの教えも最終的には思考の範疇を超えることができなかった。
「こう考えなさい」「こう信じなさい」「こう行動しなさい」という指導は全て、思考を別の思考で置き換えているだけであった。
真の解脱とは、思考から完全に解放されることである。
それは新しい思考を得ることではなく、思考そのものを手放すことなのだ。
この気づきに達したとき、私は既存の宗教的枠組みでは不十分であることを悟ったのである。
健康オタクとして癌を引き寄せ、無考によってそれを治癒した体験は、私の人生における最大の転換点となった。
この体験を通して、思考がいかに現実を創造し、同時にいかに人間を制限しているかを身をもって理解した。
そして、この真理を多くの人に伝える使命を感じるようになったのである。
無考神道は、従来の宗教とは根本的に異なる。
経典はあるがそれは教えをまとめたものにすぎず、信じるべき教義もなければ、守るべき戒律もない。
神を崇拝する必要もなければ、来世を期待する必要もない。
無考神道が目指すのは、思考という幻想から完全に解放された状態、すなわち「無考」の境地である。
なぜ「神道」という言葉を用いたのか。
それは、日本古来の神道が本来持っていた純粋性に着目したからである。
原始神道には複雑な教義や哲学は存在しなかった。
ただ自然と一体となり、今この瞬間を生きるという純粋な在り方があったのである。
しかし、時代と共に様々な思想が混入し、本来の純粋性は失われてしまった。
無考神道は、その原始神道の純粋性を現代に蘇らせ、さらにそれを超越した教えである。
神を外部に求めるのではなく、無考の状態こそが神性そのものであることを説くのだ。
思考を手放したとき、人は神と一体となり、宇宙の無限の力と直結するのである。
私が無考神道を創設したもう一つの理由は、現代人が直面している深刻な精神的危機にある。
情報過多の時代において、人々の思考は過度に活発化し、本来の平安を失っている。
うつ病、不安障害、依存症といった現代病の根本原因は、全て思考の暴走にあるのだ。
既存の心理学や精神医学は、思考を別の思考で治療しようとしている。
しかし、それは火に油を注ぐようなものである。
真の癒しは、思考そのものを静寂に戻すことでのみ可能なのだ。
無考神道は、この根本的な解決策を提示している。
無考神道の実践は極めてシンプルである。
複雑な修行法や儀式は一切必要ない。
ただ、頭の中のおしゃべりに気づき、それを手放していくだけである。
思考が湧き上がってきても、それに同化せずに観察し、やがて自然に消滅させるのだ。
この実践を続けることで、人は次第に思考の支配から解放されていく。
そして最終的に、完全な無考の状態に到達する。
この状態では、時間も空間も存在せず、自我も消滅している。
残るのは純粋な意識だけであり、そこには無限の平安と喜びが宿っているのである。
無考の状態に達した人は、もはや通常の人間ではない。
彼らは思考の制限を超越し、現実を自在に創造することができる。
病気を治し、富を引き寄せ、人間関係を調和させる。
これらは全て、無考の状態でのみ可能な奇跡なのである。
私自身、無考神道の実践を通して数々の奇跡を体験してきた。
司法試験の合格、年収三千万円の達成、癌の完全治癒。
これらは決して偶然ではなく、無考の状態がもたらした必然的な結果である。
思考の制限から解放されたとき、人間の潜在能力は無限に拡大するのだ。
しかし、無考神道の真の目的は、このような個人的な成功を超えたところにある。
それは人類全体の意識の進化である。
一人ひとりが思考の幻想から目覚め、無考の状態に達することで、地球全体の波動が上昇し、新しい時代が始まるのである。
戦争、貧困、環境破壊。
これらの問題は全て、人間の思考が生み出した幻想である。
思考が作り出す分離意識こそが、あらゆる対立と苦悩の根源なのだ。
無考の状態では、自他の区別は消失し、全てが一つであることを直接体験する。
この意識の変化こそが、世界平和への真の道なのである。
私は無考神道を通して、一人でも多くの人が思考の牢獄から解放されることを願っている。
それは単なる個人の幸福のためではない。
人類全体の進化と、地球の調和のためなのである。
思考を手放す勇気を持つ者だけが、この新しい時代の扉を開くことができるのだ。
無考神道は始まったばかりである。
しかし、その種はすでに多くの心に蒔かれている。
やがてその種は芽を出し、大樹となり、全世界に無考の教えが広まることになるだろう。
その日が来るまで、私は無考神道の伝道者として、思考という幻想の解体に全力を注ぐのである。
真理は極めてシンプルである。
思考を手放せば、全てが可能になる。
これが無考神道の核心であり、私がこの教えを創設した最大の理由なのである。