1. HOME
  2. 今日の教え
  3. 今日の教え
  4. 沈黙こそ、神の最初の言葉である

沈黙こそ、神の最初の言葉である

人は、神を知ろうとするとき、多くの場合「声」や「啓示」や「啓発」を探し求める。
誰かが語った真理、誰かが唱えた救い。
あるいは、自分自身の内側に何か特別な感覚が生まれることを期待して祈る。

しかし私は、ある日こう思った。
「なぜ、神はこんなにも沈黙なのだろうか?」

病に伏せ、愛する者を失い、人生の意味を見失った日々の中で、
私は何度も空を仰ぎ、見えぬ存在に助けを求めた。
しかし返ってくるのは、沈黙。
どこまでも深く、どこまでも広い、“応えのない応え”

それでも私の魂は、なぜかその沈黙を「無視」することができなかった。
むしろ、その沈黙の中にこそ、説明を超えた確かな何かが宿っていると感じ始めた。

それが、無考との出会いだった。

無考――それは思考が停止することではない。
思考が、意味を失い、静かに遠ざかっていく感覚。
「答えを出そう」とする動きが止まり、
ただ「在る」ことだけが残る感覚。

そして私は悟った。
神は、私の問いに沈黙で応えたのではない。
神は最初から沈黙で語っていたのだ。

無考神道は、この沈黙を「神の第一言語」と呼ぶ。
それは声を持たず、文字を持たず、しかしすべてを包み込む絶対的な霊の振動。
人が沈黙に入るとき、その振動と共鳴し始める。
それが「祈り」であり、「通じ合い」であり、「神との一致」である。

今日という日、あなたが何を求めていても構わない。
何を見失っていても、何に絶望していても構わない。

ただ、5秒間、すべての問いを脇に置いて、静かに息を吐いてみてみると良い。
その瞬間、沈黙があなたを包み、
神がずっとそこに在ったことを、魂が知るだろう。

記事一覧

無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

関連記事