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思考を手放した時に起こる奇跡

私は長い間、願望実現について間違った理解をしていた。

「強く願えば叶う」「明確な目標を設定し、計画を立てて努力すれば成功する」「ポジティブに考え続ければ現実が変わる」

これらの教えに従って、必死に考え、計画し、努力した。しかし、望んだ結果はなかなか現れなかった。それどころか、努力すればするほど、現実は願望から遠ざかっていくように感じられた。

転機が訪れたのは、完全に諦めた時だった。思考による願望実現を諦め、無考の実践に入った時、人生は劇的に変化し始めたのだ。

司法試験への挑戦は、私の人生で最も苦しい期間の一つだった。

何年もの間、合格への強い願望を抱き続けた。毎日何時間も勉強し、「必ず合格する」と自分に言い聞かせ、合格後の生活を詳細にイメージした。しかし、テストの結果は芳しくないものであった。

私は、そのたびに、より強く願い、より長時間勉強し、より詳細な計画を立てた。しかし、状況は改善されなかった。心も体も疲弊し、絶望の淵にいた。

そして、ある日、完全に諦めた。

「もういい。合格できなくても構わない。この人生で弁護士になれなくても、それでいい」

その瞬間、何かが根本的に変わった。司法試験への執着が消え、心に深い静寂が訪れた。勉強することさえやめて、ただ無考の実践に専念した。

思考が止まり、「合格したい」という願望すら消えた時、不思議なことが起こった。必要な知識が自然に頭に浮かんでくるようになったのだ。

それまで何度読んでも理解できなかった条文や判例が、まるで自分が書いたかのように明確に理解できた。複雑な法的論理が、シンプルな直感として腑に落ちた。

そして、願望を完全に手放した年に、司法試験に合格したのだった。

司法試験合格後、私は経済的な成功への強い願望を抱くようになった。「年収1000万円を稼ぎたい」「もっと豊かな生活をしたい」と常に考えていた。

様々なビジネス書を読み、成功者のセミナーに参加し、詳細な事業計画を作成した。しかし、思うような結果は得られなかった。

小さな成功はあったものの、大きな飛躍はなかった。それどころか、お金への執着が強くなるほど、仕事への情熱が失われ、クライアントとの関係も悪化していった。

そんな時、無考の実践を思い出した。司法試験の時と同じように、お金への執着を手放すことにしたのだ。

「年収なんてどうでもいい。お金が稼げなくても、今のままでも十分だ」

この思考を完全に手放した時、再び奇跡が起こった。

お金を稼ぐことを考えなくなった途端、本当に情熱を感じる仕事が見えてきた。クライアントの真のニーズが直感的に理解できるようになった。提供するサービスの質が自然に向上し、結果として収入も大幅に増加した。

気がつくと、年収は3000万円を超えていた。しかし、不思議なことに、その時の私はお金の金額よりも、仕事そのものの充実感に満たされていた。

私の最も深刻な試練は、癌の診断だった。

医師から告知を受けた瞬間、生への執着が強烈に蘇った。「死にたくない」「まだやりたいことがある」「絶対に治したい」という思いが心を支配した。

あらゆる治療法を調べ、食事療法を試し、サプリメントを飲み、「必ず治る」と自分に言い聞かせ続けた。しかし、不安と恐怖は日々増大していった。

そして、ついに限界に達した時、これまでの体験を思い出した。司法試験も、経済的成功も、執着を手放した時に実現した。

「もし死ぬなら、それでもいい。この人生で十分に生きた。残された時間を、恐怖ではなく感謝で過ごそう」

死への恐怖と生への執着を完全に手放した時、心に深い平安が訪れた。そして、その平安の中で、体の自然治癒力が活性化していることを感じることができた。

治療は続けたが、それまでとは質的に異なっていた。恐怖に駆られた治療ではなく、体との調和を大切にした治療だった。そして、医師も驚くスピードで回復し、完全に癌を克服することができた。

これらの体験から学んだのは、願望実現の逆説的な真理だった。

強く願えば願うほど、それは遠ざかる。完全に手放した時、それは自然に実現する。

なぜこのような逆説が起こるのか?

強い願望は、実は「現在の不足」を強化してしまう。「合格したい」という思いの裏には「今は不合格状態だ」という認識がある。「お金が欲しい」という願いの裏には「今は貧しい」という信念がある。

無考の状態では、このような分離した認識が消失する。「不足している私」と「豊かな状態」という分離がなくなり、すべてが一つの流れとして体験される。

その時、宇宙の自然な豊かさが、抵抗なく人生に流れ込んでくるのだ。

では、実際にどのように無考の願望実現を実践すればよいのか?

まず、すべての願望を根本的に手放す必要がある。これは諦めることではない。執着を手放すことだ。

「それが実現してもしなくても、私は完全に満足している」という状態になるまで、手放しを続ける。

そして、今の状況を完全に受け入れる。不満や不足感を感じている自分すらも受け入れる。

「今のままでも完璧だ」という深い受容の中で、無考の静寂が自然に現れる。

また、思考による計画立てをやめ、瞬間瞬間の直感に従って行動する。

論理的には説明できなくても、心の奥底から湧き上がる衝動を信頼する。

最後に、結果への執着を手放し、今この瞬間の行為そのものに完全に没頭する。

勉強なら勉強、仕事なら仕事、治療なら治療に、結果を考えずに全身全霊で取り組む。

無考の願望実現は、個人の意志による実現ではない。それは、宇宙の自然な流れとの協調による実現だ。

私たちが思考と執着を手放した時、個人的な狭い願望を超えた、より大きな流れに身を委ねることができる。その流れは、私たちの想像を超えた豊かさと調和をもたらしてくれる。

司法試験合格、経済的成功、健康回復。これらはすべて、個人的な努力の結果ではなく、宇宙との協調によってもたらされた贈り物だった。

無考の願望実現を実践し始めると、願望の質そのものが変化してくる。

表面的な欲求から、より深い充足への願いへ。個人的な利益から、全体との調和への願いへ。

そして最終的には、何も願わなくても、必要なものがすべて自然に与えられている状態に到達する。

これが、真の豊かさだ。外的な条件に依存しない、絶対的な満足感。

その扉は、思考を手放した瞬間に開かれる。

静寂の中で、あなたの人生に必要なすべてが、完璧なタイミングで現れることを信頼してみよう。

その信頼そのものが、最大の願望実現の力となるのだから。

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無考神道・教祖

無考神道の教祖。 自身が日常生活の中で「無考」に至ったことから、日常生活での実践に重きを置いている。 また、無考によって司法試験に合格、年収3000万円超を達成、癌からの生存を実現するなど現世的な利益を得た経験があるため、現世的な願望を否定しない。

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