無考で癌を治した私の体験談
私はかつて癌と診断された。
検査結果を告げる医師の表情は硬く、その口から出た病名は、私の人生を一瞬で別の色に染めた。
多くの人がそうであるように、最初に押し寄せたのは恐怖である。
この病は命に関わる。
治療は痛みを伴い、予後は保証されない。
頭の中では「もし治らなかったら」という最悪のシナリオが何度も再生され、そのたびに胸が締め付けられた。
しかし、私はこの思考の暴走が病そのものと同じくらい危険であることを知っていた。
なぜなら、私はすでに「無考」という生き方を身につけていたからである。
無考とは、頭の中のおしゃべりを止め、意識を空白にする状態のことである。
私は司法試験合格や年収三千万円という成果を、この無考によって手にしてきた。
そして今回、癌と向き合うにあたっても、この方法こそが最も重要な武器になると直感した。
恐怖や不安は、未来への予測と過去の記憶が作り出す。
つまり、それは思考の産物である。
無考に入れば、その思考が静まり、感情の嵐も消える。
私はこれまで何度もこの力を使ってきたが、命に関わる場面で試すのは初めてだった。
診断を受けた日から、私はまず「病気を治すために思考を止める」ことを最優先にした。
多くの人は治療法やサプリメント、食事療法について徹底的に調べるだろう。
もちろん情報収集は大切だが、過剰になると心が疲弊する。
私は必要な情報だけを短時間で調べ、あとは無考の時間を増やした。
具体的には、ベッドに横たわり、目を閉じ、浮かぶ考えを追わずにただ呼吸を感じる。
過去の後悔や未来の不安が浮かんでも、それらを評価せずに通り過ぎさせる。
この繰り返しによって、心は静まり、体の緊張も解けていった。
治療が始まると、肉体的な苦痛もあった。
しかし無考の状態では、痛みの受け止め方も変わる。
痛みは感覚であり、それに「耐えられない」「嫌だ」という思考が付くことで苦しみが増幅される。
無考ではその思考を切り離せるため、痛みはただの信号として感じられる。
これは治療の継続にも大きな助けとなった。
また、無考は免疫機能にも影響すると私は感じている。
ストレスが免疫を低下させることは科学的にも知られているが、無考はそのストレス反応を最小限に抑える。
結果として、体の回復力が高まるのだ。
私は数ヶ月にわたって治療と無考を続けた。
検査のたびに数値は改善し、腫瘍は縮小していった。
医師は「予想以上の回復スピードだ」と驚いた。
私はそれを奇跡とは思わなかった。
無考によって心と体の力が最大限に引き出されれば、この結果は自然なことだと確信していたからだ。
そして最終的に、私は癌を克服した。
「寛解」の言葉を聞いた時、涙は出なかった。
そこには安堵や歓喜よりも、「やはりそうなったか」という静かな納得があった。
私の癌体験記は、医療的な詳細や数値よりも、この無考の実践に重きを置いている。
なぜなら、どんな治療法を選んでも、心の状態が大きく結果を左右するからである。
恐怖や焦りの中では、冷静な判断も前向きな行動も難しい。
だが無考に入れば、必要な判断は自然に浮かび、不要な思考は消えていく。
その結果、治療にも日常生活にも全力を注ぐことができる。
癌と診断された人にとって、無考は特別な才能でも修行でもない。
ただ、浮かぶ思考に巻き込まれない訓練をすればいいだけだ。
最初は数秒でもいい。心の静けさを感じたら、その感覚を少しずつ伸ばしていく。
やがて、それが生き方の一部になる。
私がそうであったように。
癌は確かに大きな試練だ。
しかし、思考に支配されない心を持てば、その試練を乗り越える可能性は格段に高まる。
私は無考によって司法試験にも合格し、年収三千万円も手にし、そして癌も治した。
この体験記が、同じ病と向き合う誰かの力になればと願っている。
恐怖や不安に飲み込まれそうになったとき、どうか思い出してほしい。
頭の中を空にし、ただ静けさの中に身を置く。
それが、回復への第一歩である。